未宇suntea ちいさな庭とにゃん3娘猫の日記

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虐待、アダルトチルドレン

2002/12/19の日記より

きょう、あづまちづるさんが自分はアダルトチルドレンだといっていた
そして自分の記憶がないこと、親との関係のこと、などを書いた本を出したらしい

わたしは、彼女が「アダルトチルドレン」ということばをしったきっかけとなった本を読んだことがなかった。たしか「眠れぬ夜の壁」とかいったかな
機会が逢ったら読みたいとおもうので、ここにしるしておこうっと。

ADはアルコール依存症の親に育てられた子供をさす言葉らしかったものが、いまではいろいろな解釈をされているという。人間関係にもんだいがあるのは親との関係だと自己認識している人のことをいう、というようなことをいっていたっけか?

わたしは自己認識しているとおもうから、勝手にそう解釈してしまっただけかもしれないが。
そんな定義よりも、なんで他人がこわいのか、とか、どうして普通の会話なのに異常に心配して苦しんでいるのか、とか、その解決方法がしりたいのだった。

でも、そんなものは病気のように、この薬を飲めばなおります、と言うような簡単なものでは無いから、やっかいなんじゃないか!?かといって物凄ーく悩むような私でも無く。。。。
とにかく、わたしは多重人格だとからかわれるくらい、いろんな見方をしてしまうので、さっきいっていた意見と食い違う発言をよくしては弁解している。

「あ、だからそれはこういう考えもあるだろうし、またこんな考えもあるだろうし」
「だからお前はどっちなんだ?」

これって、わたしにとって不利なだけだと当時感じていた
いまでは、話し方に誤解がないよう気をつけて言いまわせるようにだいぶ上達したけど、まだまだ伝えるのは難しいと思う。
だって一般的には考え方はひとりにつき一つ、もしくはふたつ、というのが「普通」だからだ。

そんなわけで支離滅裂な発言をするわたしは、あまり友だちとの会話のキャッチボールができないでいた。
相手のボールをうまく受け取れないから、つづかないのだ。
そうして原因がわかっていくうちに間違い無く親の影響だと言うのを確信した
きっかけは子供の教育の本だった

いまは続編も出ているらしく、まだ読んでいないのでわからないけれど、最初に読んだ本はいまでも再読している。

気が向いたら、その本の出だしをアップしていこうとおもう
わたしの人生を変えた本である。
「子供が育つ魔法の言葉」

この本のなかで、親にどのように育てられるとこんな子供が育つ、といったことがかかれていた
まさにわたしだーーー!(と東ちづるさんもいっていた)
この驚きがあって自分っていままでなんだったんだ!?
とおもうようになった。

それから本ばかり読むようになる
何かを求めるのに、インターネットにないものだった。
こころを癒していく言葉がそこにあった。
わかる、のだ。体験しているからこそわかる、というか感じる痛みだった

人生に必要な痛み?そんなものは要らないから、愛がほしかったな、と冷静に思える、そんな言葉がたくさんわたしには拾えるのだった。
無視されるという虐待、がんじがらめの虐待、虐待とは言わなくてもいい。
親のことを悪く言えるのもアダルトチルドレンの特権のようなものだといっていた
よく親を悪くいうのは良く無い、などというけれど、わたしはそうはおもわない
親を悪くいわないと、呼吸もできない子供達がいる
親も親で、子供が親を悪くおもわない、悪く思いたくない、という特権に気がついていない
どんなに虐待されても子供のうちは、それを受け入れることができない。愛されたいからだ。
そうしてわたしや友だちは大人になって、普通の恋愛ができないでいた。
いまでもできないのかもしれない。

そうして心の痛みを抱えながら、わたしは漫画をかこうとしている
どんなものができるのだろう。。。。。ちょっと恐い(笑)
けれど、わたしは日記にするよりも思い出すよりも、その方が逃げていられるという安心感があったりする。
そうして書くことで思い出しながら気持をなぞっている。
なかなか自分だけでは向かいあうことができないみたいだけれど。
それでもマイペースで見つめていきたいとおもうのだ。
わたしは、わたしだけの痛みではないとおもうから。


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